558269 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

花尊し

花尊し

第2次小樽・石狩戦争

第2次小樽・石狩戦争

石狩湾の国境、いや市境はどこ?

洋上風力発電の税収をめぐり小樽と石狩が綱引き、
陸界延長か海岸垂直かで第2次小樽・石狩戦争勃発か?

洋上風力発電の計画が進む石狩湾新港沖の海上で、
小樽市と石狩市の境界を画定する必要が生じている。
境界線の引き方次第で、
発電施設にかかる固定資産税収入が大きく変わるためだ。

(2014.3.24 北海道新聞)



第1次小樽・石狩戦争

小樽の領土は奇妙に北東方向に延びたゲリマンダーである。
そこは、小樽と石狩の新港利権を巡る経済戦争の結果、
小樽領となったのである。

石狩湾新港

1973年、港湾工事が開始されるも、小樽港の衰退を懸念する小樽市がごねたため、
1975年、石狩町大字樽川村の一部を割譲し、小樽市銭函4~5丁目とした。
石狩湾新港を真っ二つに分割することによって和睦した両者は、
1978年、それまで北海道単独だった港湾管理者に加わり、
三者により石狩湾新港管理組合を設立した。
JR銭函駅で降りて銭函5丁目の新港までタクシーで行った早とちり氏は
国道337をぶっとばし、メーターが3千円4千円と上がるのに驚いたという。


バッタバッタ

小樽の東端、手稲山口にバッタ塚というのがある。
明治時代の北海道はバッタの大量発生で被害甚大だった名残である。
北海道でイナゴの大群?、まるでパールバックの大地じゃないか?
映画『北の零年』の一シーンに疑問を持ったのだが、
これが動かぬ証拠であった。
映画『北の零年』は稲田騒動から始まるが、この映画、
史実は参考程度と割り切り過ぎた娯楽活劇ではあった。


(注1)小樽の領土はバッタ塚よりさらに北東に延びる。

(注2)稲子
パールバックの大地で描かれたイナゴの大群、
昔は大群で押し寄せ、農地に壊滅的打撃を与えたのはイナゴと思われていたが、
イナゴは大群で飛び回ることはないそうだ。
バッタは普段はおとなしく緑色で孤独な生活をしているが、
旱魃で食べ物が減ると、えさをもとめ幼虫が密集し、刺激物質を発散し、互いに刺激し合い、
体は黒くなり、顔も四角になり、凶暴な群生バッタに変身するということだ。
明治13年~17年頃、北海道で農作物を全滅させた記録がある。

(注3)稲田騒動
江戸時代、徳島藩家老の稲田氏が淡路島を支配し、
稲田家臣は、徳島本藩からは陪臣として扱われていた。
明治2年、政府は武士の身分を改め、
稲田家当主は士族としたが、家臣は陪臣のため卒族とした。
稲田家臣は士族への編入と分藩独立を求めるに至り、
この動きは徳島家臣の激しい怒りを買い、明治3年、
稲田家臣が襲撃される事件が起きた。
政府は徳島藩側に斬首など厳しい処罰を下し、
稲田家側には北海道開拓を命じ、静内に移住させた。

(注4)バッタ塚
手稲山口のバッタ塚は札幌市指定史跡になっている。
飛蝗(ひこう)はバッタ科の昆虫(殿様飛蝗)が群飛して移動するもので、
アイヌ人の口承では何十年かおきに有ったという。
明治13年に十勝で発生し各地に広がり18年まで被害を与えたという記録が残っている。
政府は飛蝗が津軽海峡を越えることを心配し駆除に努め、
捕えた成虫は穴に埋め土で覆ってバッタ塚を造った。
手稲山口のバッタ塚は明治16年に掘り集めた大量の卵のうを砂地に並べて埋めたものである。

(注5)映画『北の零年』
北の零年、北のカナリアたち、北の桜守。
北の三部作最終章『北の桜守』は2018年3月10日公開。


石狩挽歌

ニシン漁の労働歌ソーラン節に江差追分

北原ミレイ、石狩挽歌の歌詞に、

「海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると
赤い筒袖(つっぽ)のヤン衆がさわぐ・・
わたしゃ大漁の網を曳く」


石狩湾では鰊の群来(くき)が目撃され、
今年の小樽沿岸のニシン漁獲量は、
既に昨年の年間漁獲量の2倍を超え、
96年に放流事業を開始して以降、
最高記録を更新中とのこと。
(2009.3.5 北海道新聞)


浜は祭りの様だけど
海の中では
何万の鰊の弔いするだろう
(金子みすず)


(注1)金子みすず
早死にの童謡詩人

原詩は鰊ではなく鰮、
だが、ニシンとイワシは親戚関係、
同じニシン科の魚

(注2)群来(くき)
産卵と白子で海が真っ白くなり、
浜辺にうち寄せ子どもも手づかみし、
学校も役場も休みになった(昔の話)

(注3)江差追分
高島岬の祝津展望台には江差追分歌碑があり、
晴れれば札幌JRタワーも見える

(注4)石狩挽歌
2,424,024人目の入館者に記念品贈呈、中途半端な数字と思ったら、
ニシン・ニシン・オーニシン、にしん御殿 旧青山別邸って、
小樽貴賓館で石狩挽歌の碑があり、江差追分碑や鰊番屋も近い
(水族館・青塚食堂の1kmほど手前の細い道を海側から上がって行く)
(2011.5.1 北海道新聞)



歴史の重み

1851=嘉永4年、新潟で創業
1904=明治37年、小樽に移転
2010=平成22年、札幌は閉店

花月堂
フランチャイズ24店 道内最古の企業が看板の重みと雪の重みでつぶれた
(2010.11.24 北海道新聞)



旬の味

美味けりゃ高くたって良いが、安くても不味けりゃ駄目。
刺し身は一切れか二切れを食うから美味いのであって、
丸ごとドンじゃただの生臭魚肉だ。
一心太助は丸ごとドンの典型だけど、
魚屋の息子がやっている店だから新鮮で美味い。
丸ごとドンは料理ではないけれども地元の産地に直結だから美味いのだ。
流通経路が込み入っていれば地元だって新鮮なものが食える訳ではない。

我々よそ者は地物は美味いと思っているが、
地元の人は今年(2004年)のウニは甘味が足りなかったと言っている。
小樽のウニは5月~8月が漁期で、
9月になると他所のウニか冷凍物で味も落ちる。
採れたてを旬で食うから美味いのであって、
採れたての旬の味を遠方に送ることは無理な話しなのだ。

(注)2006.11 一心太助はノロウィルスにて消滅


毛蟹、鱈場蟹、ずわい蟹、花咲蟹

カニ食えば 金が無くなる 北海道

北海道は、
自然は一流、設備は二流、サービスは三流と言われている。
三流のサービスとは例えば「毛蟹送ってー」と言う人に
スカスカの味気ない毛蟹を送ってしまうとか、etc & etc
地元の人間がなんで地元の悪口を言うんだ、と、
お怒りの人もいるけど、これは悪口ではなく叱咤激励なのだ。
地元のためにこそ言っているのだ。
北海道は、
自然は一流、設備もサービスも一流だ、と
言ってもらえるようになってほしいからこそ言っているのである。


© Rakuten Group, Inc.